アノマリサ

先日観たチャーリー・カウフマンのアノマリサは奇妙な映画だった。内容もさることながら、作品があのような形で存在していることが。同時に人間や人生を描くのに適した手法だとも思った。

最近観た邦画

邦画ブームが訪れた。最近観たやつの面白かった順。

洲崎パラダイス赤信号
放浪記
乱れる
秋津温泉
浮雲
赤線地帯
しとやかな獣
クリーピー
シンゴジラ
夜の女たち
独立愚連隊

洲崎パラダイス赤信号は前に書いた辰巳巷談と同じく江東区木場の洲崎が舞台。人物もだけど土地の扱い方が良かった。
放浪記、乱れるの高峰秀子の顔がすごった。

岡本文弥作、泉鏡花原作、新内「辰巳巷談」

先日、新内岡本派の岡本宮之助氏が、岡本文弥の「辰巳巷談」(泉鏡花原作)を復活演奏した。この曲が演奏されるのは45年振りで、宮之助氏にとっては初演。

前もって筋を理解しておいた方が良いだろうと思い原作を読んでから行くことにした。

いずれ忘れてしまうと思うので、あらすじを記録しておく。が、もろもろ正しくないところもあると思います。ご容赦ください。


 

場所、現在の江東区。永代橋を抜けて門前仲町、汐見橋、木場周辺。

時代、明治中後期頃。

現在の木場駅の南に洲崎という遊郭があった(戦後は洲崎パラダイスという赤線地帯になった)。そこにお君という十代後半の遊女がいた。お君を世話していた新造(付き人兼マネージャーのようなもの)のお重は不憫に思い親切心で、お君が遊郭から出られるよう金策をし、自分の家に置いた。

お君は、客としてきていた二十代前半の青年、鼎(かなえ)と相思相愛で、会う約束をしていた。

小説の冒頭シーン。人力車に乗って茅場町方面から、いくつかの橋を越えて、お君がいる長屋にやってきた鼎。着いた頃にはすでに夜遅く、戸を叩くのをためらっていると向こうから中年男性の声が聴こえ、そのまま逢わずに引き返した。

汐見橋まで戻ったところで、見知らぬ男たちに囲まれ人力車を降ろされる。そこに、先ほどお重の部屋にいた中年の船頭、宗平がやってくる。鼎がお君に会いに来たことを咎め暴力を振るう。

新造のお重は、お金を工面する際にあちこちから借りていて、その中に宗平もいた。見返りに相手をさせる、とお君に断りもなく決めてしまっていた。妻子がいるが夜な夜なお重の家にやってくる。宗平はお君が遊郭に入る前から恋心を持っていた。そんなことで、鼎に対しては嫉妬心を抱いている。

殴られて、さらに酷い目にあいそうな鼎だったが、突然現れた女性、沖津に救われる。沖津は門前仲町の長屋で暮らす三十代後半の独身女。仕事は行商で、櫛や髪留め、化粧品などを洲崎で売っている。

沖津が鼎をどのように救ったか、その詳細は書かれていないが、後ほど分かることで、沖津と宗平は全く知らない仲ではない。沖津は傷ついた鼎を自室に連れ帰る。鼎は熱を出して寝込み沖津は看病する。

沖津は洲崎でのお君と鼎の存在を認知しており、二人を愛おしく思い引き合わせる。なぜ愛おしく思うのか。沖津の過去。沖津はかつてお君と同じ境遇であった。不憫に思い他人事と思えずお君を思うのはお重と同じだ。

しかし間もなく、鼎は自分の息子であると知る。かつて手放した息子であり、そうである以上、遊女と深い仲にさせるのは鼎の将来に良くないと考え(てしまい)、お君と距離を置くようになる。鼎に何と説明したのかは記述がない。

お君は沖津の部屋を何度も訪ねるが、鼎にも沖津にも会うことができない。はっきりとした理由も分からないまま、そんな日々が3ヶ月も続き、心身ともに疲弊しきってしまう。心に余裕がなくなったお君は、頑なに、操と祈りが相まって、いっそう宗平を遠ざけ関係を拒む。余計に苛立つ宗平は度々暴力を振るうようになる。

そんなことでお君とお重の関係も悪くなり、宗平は宗平で、妻と子供が病気、金もなく、慕ってくれていた若い衆も離れ八方ふさがりになっていく。

こうして、長屋の一室を共にする三人の心はぼろぼろになった。

お君は、遊郭(=苦界)から逃れたはずなのに逃れられない。親切にしてくれたお重や沖津との関係も破綻してしまう。宗平の心も限界まで追い込まれた。その沸点はふたたび汐見橋に集約される。

鼎に会えない帰り道、お君はふらふらと汐見橋にひとり立っている。そこに異様な雰囲気の宗平がやってきて、手には包丁。お君に関係をせまり、あげく心中、駆け落ちをせまる宗平。それを拒むお君。

「かなえさーーーん」

ついに胸を刺され倒れるお君のもとに沖津が現れる。沖津は心を変えてお君に会いに行くところだった。

沖津は死の間近のお君を胸に抱えて謝罪し、鼎との関係(母子)を伝えたうえで、自分のことを「おっかさん」と呼んでくれと言う。また、独りでは死なせないとも。一方宗平には、何事もなかったようにしてここから逃れ、家族のもとに戻るように言う。

「土手の芝人に踏まれて一度は枯れて 露の情けでよみがえる」

放心し、帰宅の途につく宗平の歌声が深川の夜の街に響き渡り、間際のお君の耳にも届く。その歌はお君がおいらんだった頃、これは自分の歌だと思い、常々歌っていたものだった。

包丁を拾い自らを刺し、抱えたお君に重なる沖津。

 


新内「辰巳巷談」では、このうち後半部分にあたる汐見橋のシーン、(演奏後の宮之助氏曰く)ストーカーと化した宗平とお君のやりとりからはじまる。

そこに至る経緯がばっさりカットされているので、原作を読んでおいて良かったです。

演奏はとても良くて、長年にわたって封印されていたのが不思議です。

当日配布していただいた文章(もっと色々読みたい)によると、「ああいった大上段にふりかぶった様な浄瑠璃は演りたくない」と文弥氏はおっしゃっていたそうです。

岡本文弥「辰巳巷談」は残念ながら正式にはリリースされている音源がありません。同じく泉鏡花原作の「月夜の題目船(葛飾砂子より)」はCD化されており現在も売っています(新内珠玉集4に収録)。これも深川、遊女の話で、街に響き渡る声が印象的な作品です。

追記
昨日、友人のはからいで文弥さんの古い録音を聴くことができました。とっても良かった・・「かなえさーーーん」


新内は遊女の話、つらい話も多く、こちらの具合によってはおいそれと聴けない日も多々あるのですが、聴くと素晴らしい。

近頃、憲法改正なんて話もありますが、人権、平等というのは大切にしなければいけないとあらためて思います。

痛み運ぶ器/Itami Hakobu Utsuwa

『痛み運ぶ器』 /”Itami Hakobu Utsuwa” from Vincent GUILBERT on Vimeo.

来年リリース予定のアルバム「消え続けるエコー(タイトル仮・レーベル未定)」に入ってる曲「痛み運ぶ器」の映像です。

東京在住のフランス人映像作家ヴァンサン・ギルベール(Vincent Guilbert)氏が作ってくれました。ヴァンサン氏は長編も撮っており、新作が来年日本でも公開予定です。

「消え続けるエコー(仮)」は自分にしては珍しく全9曲歌詞を伴う歌とギターのアルバム。昨年から作り始め今年の春に一度マスタリングまで終えた後、つい先日ミックスをやり直しました。といっても今回はエレキギターと歌の一発録りなので、ミックスというよりは調整(イコライザー、コンプ、ディレイの調整)ですが、春のものと比べると結構変わりました。

アルバムのことはリリースできるようになったらまた書くとしよう。

 

 

 ↓歌詞

 

痛み運ぶ器

キラキラと光る、痛み運ぶ器
街明かり滲む
瞳研ぎ澄ませ
赤、白、黄、線を引く
全ての窓に、
夜から夜に、角をぶつけ

ビル風に吹かれ、吹き溜まり巡る
野良猫達の集会も終わり
後追う尾はテールライト
器が運ぶ
端から端へ、角をぶつけ

マイ・ファニー・ヴァレンタイン (2013)/My Funny Valentine (2013)

My Funny Valentine (2013) – Hisato Higuchi 
Recorded, 2013
Electric Guitar, Vocals and Recorded By Hisato Higuchi

マイ・ファニー・ヴァレンタインのカバー。
この曲には色々な人のバージョンがあるわけですが、自分の場合、20年と少し前にチェット・ベイカーとニコの演奏を聴いて、いつか自分も演奏してみようと思いました。数年前からライブで演奏したり、録音してみたりして、今のところの最新バージョンです。写真はライブのやつですが、演奏は自宅で録音したものです。

以下のは2012年に録音したやつで、後半のソロがディストーションギター。
My Funny Valentine (2012) – Hisato Higuchi 

 

オルフェオ/Orfeo

 オルフェオ/リチャード・パワーズ著

 アメリカの作家リチャード・パワーズが2014年(翻訳は2015年)に発表した小説。

 ある作曲家の一生と音楽(主に現代音楽)の話。長年世間に認められないものの、純粋に己の音楽を記し、後に絶望、もろもろの後悔などもありつつ、晩年、遺伝子に音楽を組み込むコンセプチャルな作品…曲をデジタル化して四つの塩基から成る連鎖に変換し…を制作中、バイオテロリストとして指名手配され逃避行する。アメリカの地を車で横断するうちに、ハーリー・パーチ、ホーボーに身を重ねていく。

 過去の作曲作品に関する記述も多く、ストーリー、主人公の作品とリンクしているものもある。オリヴィエ・メシアン『時の終わりのための四重奏曲』、ジョン・ケージ『ミュージサーカス』、スティーヴ・ライヒ『プロヴァーブ』、ドミトリイ・ショスタコーヴィチ『交響曲五番ニ短調』、そしてハーリー・パーチ『バーストー』。

 ちなみに、過去作『われらが歌う時』は演奏家の話で、古楽とソウルミュージックが重要な位置を占めていた…ような気がする…アルヴォ・ペルトもでてきたかも…。

オルフェオ
リチャード・パワーズ 著
判型:四六判変型
頁数:428ページ
ISBN:978-4-10-505875-3
発売日:2013/07/31
http://www.shinchosha.co.jp/book/505875/

耳に聞こえないメロディーは、聞こえるメロディーよりさらに甘美だ。

微生物の遺伝子に音楽を組み込もうと試みる現代芸術家のもとに、捜査官がやってくる。容疑はバイオテロ? 逃避行の途上、かつての家族や盟友と再会した彼の中に、今こそ発表すべき新しい作品の形が姿を現す――。マーラーからメシアンを経てライヒに至る音楽の歩みと、一人の芸術家の半生の物語が響き合う、危険で美しい音楽小説。

いま反戦文弥作品を語る

この日記(https://ghost.readymade.jp/?p=566)を書いてから、岡本文弥 新内珠玉集(http://www.teichiku.co.jp/catalog/okamoto-bunya/)や、知人からダビングしてもらい、古典もいくつか聴くことができた。

オリジナルでは「富本豊志賀」「たぬき」「月夜の題目舟」、古典では「弥次喜多」なんかがいまのところ好きだ。

やはり生演奏も聴いてみたいと思い、文弥の新内を継承する岡本派(http://www.okamotomiyanosuke.com/)の公演に行った。

カッパの道行
ぶんやありらん
西部戦線異状なし

出演:
浄瑠璃 岡本宮之助
三味線 鶴賀喜代寿郎
上調子 岡本文之助

岡本文弥最晩年の作品「ぶんやありらん」が良かった。語りの内容は重いのだが、瑞々しくてすっと入ってきた。

戦後70年、また近頃の政治の動きもあって、この演目での会を開いたとのことだった。

弦楽器ということで、やはり三味線も気になった。大きな撥(ギターのピックに比べれると)だが、鶴賀喜代寿郎氏はじつに柔らかいタッチで、強弱弾きわけていた。アンプやPAを使えば、ああいったニュアンスは相当失われる。

来週は同じ場所(お江戸日本橋亭)で、怪談をテーマにした演奏会がある。

虐殺器官、ハーモニー

最近読んだ中で面白かった小説。ハーモニーが特に良かった。

 

虐殺器官
伊藤計劃 著

ISBN : 9784150311650
刊行日 : 2014/08/08
http://www.hayakawa-online.co.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000003096&search=%B5%D4%BB%A6%B4%EF%B4%B1&sort=

9・11以降の”テロとの戦い”は転機を迎えていた。
先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。
米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう……
彼の目的とはいったいなにか? 
大量殺戮を引き起こす”虐殺の器官”とは? 
現代の罪と罰を描破する、ゼロ年代最高のフィクション。

 

ハーモニー
伊藤計劃 著

ISBN : 9784150311667
刊行日 : 2014/08/08
http://www.hayakawa-online.co.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000003097&search=%A5%CF%A1%BC%A5%E2%A5%CB%A1%BC&sort=

21世紀後半、〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。
医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する”ユートピア”。
そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した――
それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰に、ただひとり死んだはすの少女の影を見る――
『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。

グラスゴーとロンドンでのライブ/Counterflows Festival, Cafe Oto

2014年9月にメールがきた。

2015年4月にグラスゴーで開催されるCounterflows Festivalへの誘いだった。

また、ロンドンのCafe Otoでのライブも含まれるとのことだった。

といわけで、この2回のライブと少しの観光のため、2日から7日の間イギリスへ行った。

行きの機内

4月2日。

飛行機は羽田発ヒースロ行き、British AirwaysとJALのコードシェア便。

機体はボーイング777。

機内食が美味しかった。

映画はバードマンとゴーンガールを観た。

ヒースローで小型機に乗り換えてグラスゴーへ。

夜に到着してサンドウイッチを食べて寝た。

グラスゴーのホテル Novotel

グラスゴーでの宿はNovotel、綺麗で清潔、部屋も広かった。

ホテルの向かい向かい教会

ホテルの向かいの教会。

Novotel近くのグラスゴーの街並み

Novotel近くのグラスゴーの街並み

ホテル近くのグラスゴーの街並み。

カモメの鳴き声が終日聴こえた。

 

4月3日。

サウンドチェックの前に街の東側を散歩した。

グラスゴー大聖堂

グラスゴー大聖堂。

グラスゴー大聖堂裏の墓地

グラスゴー大聖堂裏の墓地。

GARNETHILL MULTICULTURAL CENTRE

グラスゴーでのライブ会場、GARNETHILL MULTICULTURAL CENTRE。

ここはおそらく、公民館?地域センター?のような文化施設だと思う。

GARNETHILL MULTICULTURAL CENTREの2階

ここにPAと照明を組む。

天井が高くて、古くて、いい建物だった。

GARNETHILL MULTICULTURAL CENTREでのサウンドチェック

サウンドチェックの時。

この日、この会場ではANGHARAD DAVIES、HISATO HIGUCHI、DANIEL CARTERの3組が演奏した。

サウンドチェックでアンプの不調があり、本番までに交換することになった。

気のいいスタッフが、何本飲んでもタダのビールを持ってきてくれた。

グラスゴーのCCA

サウンドチェック後、RICHARD YOUNGSのライブを観るため、別会場のCCA(Centre for Contemporary Arts)へ。

ヤングス氏はフェスティバルの3日間を通して演奏すると聞いていたので、とても楽しみにしていた。

1日目はヤングス氏のスコアを4人の声楽家が演奏するもの。

本人の挨拶後、30分弱の演奏が行なわれた。

大雑把に言うと、彼の多重録音のボーカル作品を現代音楽にした感じであった。

その後、再びGARNETHILL MULTICULTURAL CENTREへ戻ると、ANGHARAD DAVIESの演奏が始まるところだった。

アンプリファイドしたヴァイオリンを複数のアンプから出力する、ドローンベースの即興演奏。

立ち姿が美しい方だった。

もう少しPAは抑えた方がいいかなと思った。

自分の感覚では、PAで大きく増幅されすぎた音はレンジが狭く感じる事が多い。

余裕を持ったせて小さくした方が好きだ。

次が自分。

アンプの変更で機種が変わり音量とバランスが変わった。

出だしはギターの音が大きすぎてバランスが悪かった。

演奏しながら調整していった。

中盤あたりに集中のピークがあり、最後は少し流れてしまったような気がする。

観客はおおよそ100人くらいだと思う。

Higuchi at GARNETHILL MULTICULTURAL CENTRE pic

客席には椅子なし、寝転がってる人もいた。

最後にDANIEL CARTER。

ちょうどいい按配というか、案外珍しいというか、ダイナミックスの感じがいそうでいないというか。

伸び伸びたしたフリーのとてもいい演奏だった。

 

4月4日。

ヤングス氏のライブを観に&散歩で街の西側へ。

共演したDJの音量は少し大きすぎたけれど。

 

グラスゴーの古い建物と店舗

グラスゴーの古い建物と店舗

古い建物の1階に(イギリス風に言うとグランドフロア?)店舗が入っている。

グラスゴーのTHE 78

ライブ会場のTHE78はビーガン・レストラン・カフェ・バー。

正午から始まった。

この日は、ヤングス氏と2人の息子、それにandrew paineのバンド「THE FLEXIBLES」として演奏した。

小さな息子Sorley Youngsが可愛くて、自分の頬は緩みっぱなしだったと思う。

ヤングス氏がリズムボックス。

小さな息子がボーカルとギター。

ギターには深くエフェクトがかかっていて、開放弦をじゃらんと弾くだけで良いようにセッティングされていた。

大きな息子さんがチェロ。

これもエコーがかかってたかな。

andrew paineがベース。

彼は真面目な感じの美男子でクールな佇まいをしていた。

チェロとベースが土台となっているので、ヤングス氏と小さな息子が不規則な演奏してもフリーな感じにはならず、曲としてのまとまりを保っていた。

ストレンジポップスというのもなんか違う。

もう少し奇妙で可愛いものだった。

このタイミング(息子さんの年齢的に)にしか出来ない演奏だと思う、とても貴重だし、演奏自体とても良かった。

そう言えばライブの前、サッカーボールを抱えたヤングス氏と子供達が会場に駆け込んでいくところを目撃した。

そんな関係性が現れているような演奏だった。

ライブの後、物販コーナでTHE FLEXIBLESの7インチ(Sorleyのサイン入り)を購入し、恥ずかしながらヤングス氏にもサインを入れてもらった。

7インチは3£だった。

安さに驚き、翌日の自分の物販を値下げした。

幸せな気分のまま近くのケルビングローブ美術館・博物館へ行き、食堂でフィッシュ&チップスとサラダを食べた。

ダリの「十字架の聖ヨハネのキリスト」があった。

西側は静かでいい雰囲気の街だった。

ケルビングローブ公園

ケルビングローブ公園

ケルビングローブ公園。

遠くに見えるのは大学内の教会で、Evan Parkerのライブが行われた。

この日の夜、Neil Michael Hagertyのライブもあったのだが、諸事情で行けなかった。

 

4月5日。

ホテルで朝食をとった後、グラスゴー・クイーンズ・ストリート駅へ。

ナショナル・レールのローカル線でエジンバラへ。

エジンバラでロンドン行の特急?に乗り換えロンドンへ。

車窓から見える風景は牧場が多くのどかだった。

馬よりも羊が多かった。

隣の4人がけボックス席には、中年男性2人組と男女のカップルが相席していたのだが、話がやけに盛り上がっていて、最終的には連絡先まで交換していた。

自分には到底出来ない事だ。

ふたつ前の席には若い男女のカップルが座っていた。

女の子が下世話そうなゴシップ雑誌を見て何度も大笑いしていた。

途中、ニューキャッスルに停車した。

以前来たことがある街で、見覚えのある建物も見れて嬉しかった。

それは2007年で、Music Lovers’ Field Companionというフェスだった。

Sage Gatesheadという銀色の建物で、ライブ会場だった。

ロンドンまで約5時間、本でも読むつもりだったが風景を見ていたらあっという間に、終点のキングス・クロス駅に着いてしまった。

そこから、ライブ会場のCafe Otoと宿泊先の最寄り駅ダルストン・ジャンクションへは、まず地下鉄ヴィクトリア線でハイベリー&イズリントン駅まで行き、オーバーグラウンド(地上を走る電車)に乗り換えて二駅、というのは事前に調べていたのだが、その日は電気系統の故障で一帯のオーバーグラウンドが止まっていた。

仕方なく、ハイベリー&イズリントンまで行き、そこからはタクシーを使った。

日本では数年に1度乗るかどうかのタクシーを、この旅では何度か使った。

タクシーというものは、とても楽に移動が出来る。

宿泊先に荷物を置き急いで会場へ。

Cafe Otoの入り口

Cafe Otoの入り口。

会場に着くと、もうひとりの出演者JON COLLINがサウンドチェックをしていた。

アコースティック・ギターをギター・アンプに繋ぎ、バーなども使ったプリペアドな演奏をしていた。

本番ではメロディーも感じさせる演奏をしていた。

繊細で良い演奏だった。

彼はOtomeyama BottomsのLPも買ってくれた。

サウンドチェックと本番の間にデリバリーのカレーを食べた。

デリバリーのカレー

とても美味しかったデリバリーのカレー。

細長い米。

higuchi at cafe oto

この日は9曲か10曲演奏したと思う。

声はまあまあ出ていた。

近頃は少しだけ張った声を混ぜている。

ライブでは特に抜けが欲しくてそうしている。

同じような理由でギターはアンプに直結している。

抜け?というか、適切な言葉が分からないので心の中でそう言っているだけだが、つまり、よく使われる意味での抜けとは違うと思うのだけれど。

歌の合間や後に弾くギターソロは、ここ数年やっている無伴奏の単音弾きで、キーのスケールを使うが弾き続けているとコードの連なりからは離れていく。

次第に散らばっていき、バラバラになる前に戻る。

最近作ったCDR「Phantom EP Series Vol.3」や、今録音中のアルバムでも少しやっている。

終演後ビールを飲みながら知人と話した。

ロンドン在住のバンド「Bo Ningen」のYuki氏とKohhei氏も来てくれた。

雰囲気が良くて、とてもいい時間だった。

夜も更けて宿泊先へ帰る途中、野ギツネに出会った。

猫よりは大きな白っぽい身体で、それと帰る方向が同じだったので、並走するような形でしばらく歩いた。

宿泊先の手前で、向かいの家のガレージ奥へと消えていった。

 

4月6日。

ライブも終わり休息日。

Luxury Innがある通り

狐と歩いた通り。

Luxury Innの向かい

狐はこの白い家と茶色の塀の間に消えていった。

ロンドンのLuxury Inn

宿泊先のLuxury Inn。

 

昼前に出て、電車を乗り継ぎウォータールー駅、そこからブラブラと歩いてテート・モダンへ。

展示ではGeta Bratescuという人の刺繍の連作が気に入った。

観た瞬間ハッとして、気持ちがあがった。

その後、観光客でごった返すミレニアム・ブリッジを渡り、セントポール寺院を抜けて、セント・ポールズ駅へ。

そこからホルボーン駅まで行き、ピカデリー線に乗り換えマナー・ハウス駅へ。

マナー・ハウスの街はトルコ人が多く住む移民街でもあり、通りの両端にトルコ料理屋や食料品店が並んでいた。

自分にとっていは異国の中の異国という感じで印象深い。

大きな公園もあった。

夕食は知人の家でいただいた。

とても美味しい料理と手作りのケーキでもてなして頂き感激した。

この方には色々と良くしてもらって大変感謝している。

猫がいる良い家だった。

帰りはバスを使った。

オイスター・カードという日本のスイカのようなものを買っていたのですんなり乗れた。

せっかくなので2階に座った。

夜の車中の雰囲気や車窓の眺めが面白かった。

ベタな観光地よりもこういった移動や何気ない行動の方が印象に残っている。

 

4月7日。

ラッセル・スクエア、ピカデリー・サーカスなどに行った。

ラッセル・スクエア駅の看板

ラッセル・スクエア駅の看板。

この駅は地中深く、階段だと175段ある。

ラッセル・スクエアでは思わず面白い場所にも行くことが出来た。

夕方、ヒースロー空港へは地下鉄のピカデリー線を使った。

終。

普段はあまり人と会わず、タクシーにも乗らず、貧乏な下衆ですが、いい日々が過ごせました。

 

hisato higuchi at cafe oto pic by alan cummings

at cafe oto pic by alan cummings

hisato higuchi at cafe oto pic by alan cummings

at cafe oto pic by alan cummings

血盟団事件

 一章は井上日召の少年期、自暴自棄でもあった青年期、信仰・神秘体験(神がかり)を経て、茨城県大洗に流れ着き自らの手で国家改造を行う決意をするまで。

 二章は井上のもとに集まった地元農村の青年たちが感化され、命を捨てる覚悟で革命を目指し集団化するまで。

 と、ここまではスラスラと読み進めていたのだけど、場所を東京に移しエリート学生、陸軍・海軍の若者達、大物思想家等が登場する三章あたりからスピードが落ちて、ゆるゆると読んでいたら、ISIL(イスラム国)による日本人ジャーナリスト人質事件が表面化した。またそれに対する政府の対応や報道のあり方が議論になっていった。

 この本でも若干言及されているが、近頃の世相は戦前のそれに似ていると言われることがある。そっくりとまでは言えないとしても、たしかに10年前よりは相当似ており、さらに5年前と比べても近づきつつあるのは確かだと思う。現世社会への嫌悪と自らの命を惜しまぬ正義感が結びつく時、いつ何時再びこの国でも起こりえる、と実感を持って想像することができる。

 

 三章、四章は事件の全容を描くために登場人物が増えて若干散漫な印象を受けたが、後の 五・一五事件への連なりが明らかになっている。
 事件以後はあとがきにある程度で記述が少く、欲を言えばその先も読みたかった。

 

血盟団事件
中島岳志 著

ページ数 400ページ
判型・造本・装丁 四六判 上製 上製カバー装
初版奥付日 2013年08月10日
ISBN 978-4-16-376550-1
Cコード 0095
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163765501

「血盟団事件」は、日本史の教科書に出てくるほどの大事件でありながら、これまで五・一五事件や二・二六事件の様には取り上げられてはきませんでした。しかし、著者の中島氏はこの事件の中にこそ当時の若者たちが抱えた苦悩が隠されているのではないかと考えました。残された供述調書や回想録を精査する中で浮かび上がってきたのは、 格差問題や就職難、ワーキングプア、社会からの孤立感など現代の若者にも通底する悩みの数々でした。

資料を読むだけではなく中島氏は数々の「現場」を歩くことで、本書に厚みを加えます。事件現場となった東京・三井銀行本館をはじめ、茨城・大洗、群馬・川場、鹿児島、そして旧満洲の遼陽まで――足跡をたどる旅は、海外まで広がりました。

事件の鍵となる人物の周辺取材では、井上涼子氏(井上日召娘)、團紀彦氏(團琢磨曾孫)、中曽根康弘元首相(四元義隆と親交があった)へのインタビューを行ないました。また元血盟団のメンバー川崎長光氏に話を聞くこともできました。

海軍士官、エリート帝大生、定職に就けない若者など交わることのないはずだった人々が、カリスマ宗教家の井上日召と出会い凶行に走る――。
事件後八十年を経てその真相に迫ったノンフィクションです。