MRI、ジャズマスター/MRI, Jazzmaster

 先日、レントゲンに黒い影が見つかりCT検査を受けた。結果、腫瘍の疑いがあったため、改めて別日にMRIへ入ることになった。結局、静止性空洞という奇妙な症状で、治療の必要もなく病気ではなかったのだが、貧乏人にとっては高額の検査費用を払うはめになった。
 腫瘍だった場合やや大きな手術が必要と言われていたため、数日暗い気持ちでいたが、MRI検査の当日はせめて楽しもうと思い、多少ワクワクもしていたのだが、筒状の検査機器に入ってすぐ、激しい動悸と異常な発汗、動きたい外に出たいという抑えがたい欲求でパニックを起こしてしまった。産まれてこの方この年になるまで、自分が閉所恐怖症だとは気付かなかった。
 なんとか数十分間耐え検査を終えることは出来たが、機器から出た時には肉体的にも精神的にも疲れきっていた。出来ればもうMRIには入りたくない。耐え難い時間だった。

 2月8日は、久しぶりに高円寺円盤でのライブだった。当日は大雪だった。スニーカーしか持っていないので、防水のため靴の上にレジ袋を履いて家を出たのだが、いざ歩き道行く人とすれ違うと、案外恥ずかしかった。
 ここ数年ストラトキャスターを使っていたのだが、リヴァーブや揺れ系のペダルを使わず、クリーントーンでコードを刻む曲とあわないので、近頃はジャズマスターに持ち変えることが多くなっている。問題は重量が重いこと、専用のケース、ソフトケースを持っていないこと。傘とギターで両手がふさがること。

成田/narita

 成田 – 成田宗弘

 High Rise、凶悪のインテンション、Green Flamesのギタリスト成田宗弘氏が2005年に発表したギターアルバム。トラック1と3がギターソロ、2と4はテニスコーツの植野隆司氏とのデュオ。

 澄んだ空気の中、静と動が混在する独創的な演奏。

 冒頭、低い唸り声のような旋律が幾つか続いた後、空間を切り裂くように歪みきったギターが炸裂する。唸りはファズを伴ったものに変わり、ワウを踏み込むと叫びのようになる。ロングトーンから早弾きへ。ペダルで音色を変えながら、緩急自在に紡がれる旋律。バンドならばドラムとベースがクッションになるが、無伴奏でのソロでは剥き出しとなる。音の塊がゴツゴツと耳にあたるような瞬間もある。

 植野氏とのデュオでは間合いをはかるような、音を置くような、居合のような静かな演奏。ソロよりもスケールはフリーになるが激しくはならない。こういう演奏ももっと聴きたい。録音もとても良い。

 そう言えば以前、Lの臼井氏とのデュオを高円寺で聴いたが、あの日の演奏も素晴らしかった。ドラムがギターを包み込むのか、ギターがドラムに寄り添うのか、ともかく、音数が増えてもどこか静けさを感じさせる独特なものだった。

 

成田/成田宗弘
成田/成田宗弘

http://www.psfmm.com/product/10543

PSF ; アンダーグラウンド数々のギタリストの中でも1−2を争うHigh Riseのギタリスト成田宗弘初のソロ・アルバム。ゲストにマヘル・シャラル・ハシュ・バズ、テニスコーツのギタリスト植野隆司を迎えての自信作!ギターでの可能性を探求する成田の即興演奏はロックもジャズもアヴァンギャルドも超えて、独自の音楽の地平に佇んでいる。発売前から、海外のディストリビューターより問い合わせが多く、特にこのアルバムは国内より海外で期待されているようだ。

異界ドキュメント 白昼の魔/document of spirit world

暗い夜道で思い出したくない、ぞっとするようなイメージが…

異界ドキュメント 白昼の魔
著者名:高橋ヨシキ
発売日:2013年01月29日
ISBNコード:9784812492857
http://kyofu.takeshobo.co.jp/detail/shohin/6220101

幽霊は存在しない。狂人と遭遇するのは確率の問題。ネットやテレビで垂れ流される都市伝説を喜ぶのは中学校で卒業だ。いまや多くの怪談・奇談は恐怖の本質から目をそらしている。真の禍々しき怪異は我々の想像を絶する形で進行している!
交通事故から生還した男を襲う理不尽な出来事「顔が違う」、地方のファストフード店に現れた異形の少年「叫び」、突然訪ねてきた自分と瓜二つの顔を持つ女「馬鹿」、山奥の巨大工場で稼動する謎の機械「ピストン」、高度経済成長の時代に起こった異様な宗教儀式を追った「イシガミ」……衝撃の犯罪映画『冷たい熱帯魚』で国際的な評価を獲った気鋭のシナリオ・ライターが夜の繁華街から地方の病院までを訪ね歩いて蒐集したショック実話集!

グラース・サーガ/Glass family

 サリンジャーは1965年に出版した『ハプワース16、1924』を最後に、2010年に亡くなるまでの45年間、作品を発表していない。しかし、執筆は続けていて自宅の金庫には相当数の原稿が保管してあり、死後発表されるという噂はちらほらあった。そして以下の記事によると、2015年〜2020年の間に5つの作品が出版されるとのこと。

サリンジャー新作5作品が “遺言により” 出版へ

 『The Complete Chronicle of the Glass Family (グラース家の全歴史)』
 彼の作品ではお馴染み、グラース家のシーモアに関する5つの短編集

 『ハプワース16、1924』は、グラース家の長兄シーモア・グラスが7歳の時に書いたという設定の日記体小説。
 シーモア・グラスは『ナイン・ストーリーズ』に収められた短編、『バナナフィッシュにうってつけの日』の主人公でもある。この話がグラース・サーガーの始まりで、以降7人の兄弟姉妹を主人公に幾つかの作品が書かれた。
 彼等は所謂天才少年・少女で、ラジオ番組「これは神童」に代わる代わる出演するほどでもある。ゆえに少年シーモアの日記も子供のものとは思えない、大人びた内容になっている。また輪廻転生を語り、前世の記憶さえ匂わせている。

 グラース・サーガは始めから構想されていたものではなく、その都度書き連ねたものであるがゆえに、はじまりの話『バナナフィッシュにうってつけの日』でのシーモアの死を納得のいく形で回収すること無く途切れた。
 失敗とも言える中断のまま作家は隠居し、50年近くが過ぎた後に新たな物語が発表されるなど、話が出来すぎていて、その自意識に呆れつつも(ゆえに)、読める日が待ち遠しい。

ルー・リード/Lou Reed

 ルー・リードが亡くなって3週間、あーでもないこーでもないと考えているのは、一番好きなアルバムはどれだろう…ってこと。どうでもいいことなのに、バイトの行き帰りなどには間違いなくつらつらと考えてしまうので、そろそろ決着をつけたいと思う。

 1. エクスタシー

 2. マジック・アンド・ロス

 3. ブルー・マスク

 曲や歌もだけど、ルー・リードのギターがよく鳴ってるのがいい。

 ベルベッツなら、ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート。

魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語/Puella Magi Madoka Magica

 魔法少女まどか☆マギカは2011年1月から4月まで放送されていたテレビアニメで、その後2012年10月にテレビ版を再編集した劇場版「前編 始まりの物語」と「後編 永遠の物語」が公開、2013年10月に新作「叛逆の物語」が公開された。

 まどかの願い「過去未来全ての魔女を生まれる前に消し去りたい」と、ほむらの願い「私は鹿目さんとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい」は相反する。テレビ版の結末でまどかは概念化し願いを叶え、ほむらの願いは叶わなかった。

 映画版の新作「叛逆の物語」はその続編で、まどかが概念化してしまった世界をどう描くのか、また、ほむらの願いは叶えられるのか、と興味津々足を運んだ次第であった。

 前半、5人揃っての変身シーンなど、暴力的なまでに快楽的な映像が続く。なかでも円卓を囲んでの連想ゲーム(戦闘)シーンは圧巻だった。

 違和感と共に描かれる幸福な世界。これは幻だと観客は知っている。そしてほむらも次第にカラクリに気付き、その、ビューディフル・ドリーマーというよりは、トゥルーマン・ショー的な世界から逃れようとする。しかしまたしても、仏の掌の上で踊らされるかのごとく、キュゥべえの片棒をかつがされつつあることにも気付く。

 中略。

 世界に絶望し自らの欲望を肯定するに至ったほむらは悪魔となり、神(のような)まどかを捕らえ新たな世界を構築する。いびつではあるものの「出会いをやり直し」「彼女を守る」願いを叶えた形だ。

 謎というか疑問を残すラストとなっているので、続編があるのかもしれない。しっかり観ていたのだが、後半のことを思い出そうとするとなぜだか記憶が曖昧だ。

幻の歌手/The singer of phantom

 起きてすぐ戸棚からMDを引っ張り出した。背にメノウと書かれた3枚のディスク。夢にでも見たのか、と不思議に思いながら、同じく引っ張り出したポータブルプレイヤーを慌ててミキサーに繋ぐ。

“そっと胴長の猫が目の前を歩き下を尖らせて足裏を舐める”
“熱い身体の火照りは少しずつさめて、どこに隠れてたこの平坦な乾いた砂地は”
“夜は降る降るブルーの砂漠の上、月も星もなくてただ夜だけが降る”
“今夜思い出したように風鈴は揺れる、どこの家からか水屋のざわめき、遠くで微かに疲れたようなパトカーのサイレン”
“今夜降る降るブルーの瞼の上、月も星もなくてただ夜だけが降る”

夜は降る – 眼膿

 この歌を聴く度に思い出す木造アパートの一室。窓を開けると小さな土だけの庭。夜明け前部屋を出て駅へ歩いた記憶。
 家主はこの曲の作者で、友人というよりは先輩、年齢も6〜7歳上だったと思う。当時何度もライブへ通った。
 ある日、彼はギターを置いて東北へ行ってしまった。

 録音は1996〜99年頃。記憶が正しければ最後のライブは1999年で、3枚目のMDはその日客席で自分が録ったものだ。

 アルバムのリリースはなく、活動時期もインターネットが普及する前であったため、メディアにもネットにも情報はない。録音されたものを持っているのは数人だろうと思う。3枚のMD、5日分のライブ、次に聴くのはいつだ。

Mudaiの写真/Picture of Mudai

MUDAI (FRONT)

2010年頃、Mudai EPのフロント・カバーに使った写真を撮った。人気の無い建物の脇で葉がこんもり生い茂っていて、雀の寝床になっていた。朝、前を通るとうるさいくらいの鳴き声がしていた。

無題跡

先月、9月26日

無題跡

10月9日

無題跡

10月23日