ジミ・ヘンドリックスとかけて
客への対応が上手い店ととく
そのこころは
クレーマーに耳を傾け現場でフィードバックしている
*アメリカのミュージシャン。ギタリストとして有名、フィードバック奏法でも有名、多用した。
*クレイマー=エディ・クレイマー。レコーディングスタジオのエンジニア。ジミ・ヘンドリックスとの仕事で有名。
HISATO HIGUCHI AND GHOST DISC WEBSITE
2003-2023
ジミ・ヘンドリックスとかけて
客への対応が上手い店ととく
そのこころは
クレーマーに耳を傾け現場でフィードバックしている
*アメリカのミュージシャン。ギタリストとして有名、フィードバック奏法でも有名、多用した。
*クレイマー=エディ・クレイマー。レコーディングスタジオのエンジニア。ジミ・ヘンドリックスとの仕事で有名。
ジョン・ケージとかけて
オリンピック選手ととく
そのこころは
菌(金)に目がない
*アメリカの現代音楽作曲家。きのこ好きでも有名。むかしむかし若かりし頃、ジョン・ケージの音楽や著作に触れ混乱して音楽ができなくなったことがあった。振り返って思えば馬鹿馬鹿しいのだけれどインターネットも無い時代、純朴な頃のこと。今聴くとしたらジョン・ラ・バーバーラの歌曲集かな。
チェット・ベイカーとかけて
冬の落葉樹林ととく
そのこころは
歯(葉)が無い
*アメリカのジャズ・トランペッター、ボーカリスト。50年代にウェストコースト一派として演奏を始めた。甘いマスクと中毒性のあるボーカルも相まっておおきな人気を博した。麻薬中毒者。たびたび問題も起こすようになり、トラブル相手に殴られ前歯を失った。音楽的には晩年まで大きな変化はなかったが、幾分音が細く不安定になった晩年の演奏も評価が高い。ポール・ブレイのピアノとのデュオ・アルバム「Diane」は晩年の傑作。
デヴィッド・グラブスとかけて
悩みの多いおじさんととく
そのこころは
ガスター10とる(ガスター・デル・ソル)
*ガスター10は第一三共ヘルスケアが市販する胃痛の薬。
*デヴィッド・グラブスはアメリカのミュージシャン。バストロ、ガスター・デル・ソルなどのバンドを経て現在はソロで活動。ボーカル、ギターの他鍵盤も弾く。個性的なソングライティングを行う。
ジョージ・ハリスンとかけて
高跳びの選手ととく
そのこころは
バーを使って舞い上がります
*ビートルズのメンバー。キャリアを通じてスライドギターによる印象的なフレーズを残している。名手は他にもいるしテクニックで言えばむしろ劣るのだろうが、「舞い上がる」ってことなら妥当かなと思う。ブルーズベースのスライドだと垂直的な運動というより水平的な感じがするし、ハワイアンは漂っている感覚、「舞い上がる」はもう少し観念的だったり、信仰心のようなものがはまる気がした。あ、シド・バレットっていうのもありかな。
The Beatles – Free As A Bird
https://youtu.be/ODIvONHPqpk
ジョン・レノンとかけて
口の悪いアメリカ人ととく
そのこころは
嫉妬(シット)が多い
ジェラスガァ~イ♪
*ビートルズのメンバー。バンド解散後の71年に発表したアルバム「イマジン」には自身の嫉妬心を歌詞にした「ジェラス・ガイ」が収録されている。むかしむかし若かりし頃、ファースト・ソロアルバム「ジョンの魂」をよく聴いていた。タイトなバンドサウンド、ジョン・レノンのギターが好きだった。
マーク・ボランとかけて
学生に人気の定食屋ととく
そのこころは
グラム(g)が大切
*グラムロックバンド、T・レックスのボーカル&ギター。ド派手な衣装でポップなロックを演奏して人気者になった。交通事故により早逝。自分は前身のティラノザウルス・レックスの最後のアルバム「A Beard Of Stars」、T・レックスの1stあたりのグラム前夜期が好きです。
マイルス・デイビスとかけて
畑正憲ととく
そのこころは
ペットの扱いに慣れている
*アメリカのトランペット奏者。チャーリー・パーカーのグループでのビバップを皮切りに、クール・モード・フリー・ファンク・フュージョン・ポップスとジャズをベースにジャンルを横断した。
*畑正憲=ムツゴロウさん
リチャード・ヤングスとかけて
ぐずっている赤ん坊ととく
そのこころは
エーンエーン(延々)と続ける
*グラスゴーのミュージシャン。非常に個性的ながら幅広い表現でジャンルも多岐にわたる。歌であっても同じフレージを延々と繰り返す曲が多数ある。
プリンスとかけて
原子爆弾ととく
そのこころは
色のついた雨が降る
*アメリカのマルチインストゥルメンタル・ミュージシャン。作詞・作曲・プロデュースも自身で行う。演奏するジャンルもファンク・ロック・R&B・ポップス‥など多岐にわたる。80年代にはポップスターとしても有名。2016年4月死去。1984年のアルバム「パープル・レイン」は大ヒットした。この作品は同名の主演映画のサウンドトラックでもある。絶命するまで数多くの優れた作品をリリースし続けた。