ストーナー

ストーナー/ジョン・ウィリアムズ

東江一紀訳
作品社
https://sakuhinsha.com/oversea/25002

ストーナーという一人の人間の幼少期から死の瞬間までの軌跡を丹念に描いた小説。

想像していた内容と違っていたから、途中で後悔しつつも最後まで読んだ。

きっと読み終わったら、「読むんじゃなかった」と思うんだろうなと想像していたけど逆だった。

死の間際の数ページが素晴らしくて、それを描写するのに必要な想像力と実感が伴っていて、当然そこに至る過程があってこそのものなので、苦しくても読んで良かったと心底思えた。

読中、後悔している際に、でも最後まで読もうと思った場面があった。

ある種、離人症のような状態になっていた40代のストーナーが、職場である教官室の窓を開けて冷気を吸い込み、冬の夜の静けさに引き寄せられ幽体離脱のように舞い上がる場面。

この世の喜びよ/井戸川射子、ピュシスについて/毛利悠子

また、あっという間に1年が終わりました。

昨日からバイトでした。

例年、冬期休暇明けは「休みがあっという間に終わってしまった!」と思うのですが、今回は休暇前から「あっという間に終わるに決まっている!」と強く意識していたので思わずにすみました。

年の始まりあるあるですが「今年は日記をつけよう!」と思いました。

日記は無理でも記録ならできるかもしれないので、印象深かったり、面白かったりしたものを残しておこうと思います。

Another year has come to an end in a flash.

I started my part-time job yesterday.

Usually, after the winter vacation, I think, “The vacation is over in a flash! but this time, I was very aware even before the vacation that “It must be over in the blink of an eye! I was very aware of this before the vacation, so I didn’t think about it this time.

As is typical at the beginning of a year, I thought, “Let’s keep a diary this year! I thought, “I can’t keep a diary, but I can keep a record.

Even if I can’t keep a diary, I might be able to keep a record, so I’ll try to record things that made an impression on me or that I found interesting.

Translated with DeepL.com (free version)


小説、この世の喜びよ/井戸川射子
Novel, Joy of the World / Iko Idogawa

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000398190

思い出すことは、世界に出会い直すこと。
静かな感動を呼ぶ傑作小説集。

娘たちが幼い頃、よく一緒に過ごした近所のショッピングセンター。その喪服売り場で働く「あなた」は、フードコートの常連の少女と知り合う。言葉にならない感情を呼びさましていく芥川賞受賞作「この世の喜びよ」をはじめとした作品集。

ほかに、ハウスメーカーの建売住宅にひとり体験宿泊する主婦を描く「マイホーム」、父子連れのキャンプに叔父と参加した少年が主人公の「キャンプ」を収録。

最初の小説集『ここはとても速い川』が、キノベス!2022年10位、野間文芸新人賞受賞。注目の新鋭がはなつ、待望の第二小説集。

二人の目にはきっと、あなたの知らない景色が広がっている。あなたは頷いた。こうして分からなかった言葉があっても、聞き返さないようになっていく。(表題作「この世の喜びよ」より)

読後にじんわりとした温かみが続いています。在りそうで無いというか、こんな風に小説が成立していて、これを読む前と後ではほんの少し世界が違ってしまうような。映画にしたらどんな風になるだろうと想像しました。

A warm feeling lingers after reading this book. It seems unlikely, or perhaps not, that a novel could be written in such a way that the world would be just a little different before and after reading it. I imagined what it would be like if it were made into a movie.


展覧会、ピュシスについて/毛利悠子
Exhibition, On Physis / Yuko Mohri

https://www.artizon.museum/exhibition_sp/js_mohriyuko/

アーティゾン美術館では、2020年の開館以来、石橋財団コレクションとアーティストとの共演、「ジャム・セッション」展を毎年開催しています。第5回目となる本展は、国際的なアートシーンで注目を集めるアーティスト、毛利悠子を迎えます。

毛利は、主にインスタレーションや彫刻を通じて、磁力や電流、空気や埃、水や温度といった、ある特定の空間が潜在的に有する流れや変化する事象に形を与え、立ち会った人々の新たな知覚の回路を開く試みを行っています。

本展タイトルに含まれる「ピュシス」は、通例「自然」あるいは「本性」と訳される古代ギリシア語です。今日の哲学にまで至る「万物の始原=原理とはなにか」という問いを生み出した初期ギリシア哲学では、「ピュシス」が中心的考察対象となっていました。当時の著作は断片でしか残されていませんが、『ピュシス=自然について』と後世に名称を与えられ、生成、変化、消滅といった運動に本性を見いだす哲学者たちの思索が伝えられています。絶えず変化するみずみずしい動静として世界を捉える彼らの姿勢は、毛利のそれと重ねてみることができます。

毛利の国内初大規模展覧会である本展では、新・旧作品とともに、作家の視点から選ばれた石橋財団コレクションと並べることで、ここでしか体感できない微細な音や動きで満たされた静謐でいて有機的な空間に来場者をいざないます。

会場に入った途端、わくわくして興奮しました。最近感情が動くことがなかったので嬉しかったです。おもちゃ箱をひっくり返したように、ワンフロワーに作品が並んでいて洒落ていて格好良くて。以前観たことがあった作品も、何故か生き生きしているようでした。古い他者の作品と並んでいるのも良かった。

As soon as I entered the venue, I was excited and thrilled. I was happy because I had not had any emotional experiences recently. It was as if a toy box had been turned upside down, and the works were lined up on one floor, looking stylish and cool. Some of the works I had seen before somehow seemed to come alive. It was also nice to see them side by side with old works by others.

アデライダ・ガルシア=モラレス『エル・スール』

エル・スール
アデライダ・ガルシア=モラレス 著
野谷文昭、熊倉靖子 訳
https://inscript.stores.jp/items/5ea6b1da55fa035832715c0d

ビクトル・エリセ監督の映画『エル・スール』の原作小説。
簡潔で美しい文章、悲しい話ですが心が洗われるようでした。


娘から死んだ父に向けての独白が、今では電気もなく誰もいない家、静かな部屋の中、かすかに残る存在に向けて行われていて、非日常的で神聖な空気が漂っていて、読書中、自分の薄汚れた心の表面に積もった埃が少しだけ拭われたような感じがしました。

映画を先に観ていて、原作では映画では描かれなかった、続きがあるとのことだったので興味を持ったのと、父の超自然的な力=振り子についてどんな風に書かれているのかが(何か暗喩的なモチーフなのか?)気になったので手に取ったのですが、力はそのものとして書かれているのも納得でした。

この著者の邦訳は今のところこれだけのようなので、機会があれば他のものも読んでみたいです。

謎ときサリンジャー―「自殺」したのは誰なのか―

謎ときサリンジャー―「自殺」したのは誰なのか―
竹内康浩/著 、朴舜起/著
https://www.shinchosha.co.jp/book/603870/

鈴木大拙による松尾芭蕉の俳句の禅的な解釈をベースにグラス家の物語を読み解く・・・って感じの本でした。感心しっぱなしというか、「マジか!」って実際に何度か口にしながら読みました。

かつてグラス家の物語、シーモア・グラスに関する話を読んで何だかの引っかかりがあった方なら面白く読めると思います。

サリンジャーが鈴木大拙の書籍を読んでいたのはほぼ確定の事実のようで、時期や影響の大小までは分からないけど、相当深く関係しているのではと思えてくる、そんな本です。

考察と文学研究の差がいまいち分からないのですが、考察・謎解き・ミステリー風に進んでいくので最後までワクワクしながら読めました。4章は少し毛色が違いますが。

ただ、この本の性質上「バナナフィッシュにうってつけの日」をサリンジャーが執筆した時点で、全てが設計済みだったかのようになっているけど、実際は後から当て嵌めていったパーツも少なくないと思う。そのように読めるように付け足したというか。

自分の場合だと、直感的に書いた言葉の意味や繋がりを後から考える事があって、気付いたり築いたりして続きを書いたりする事があります。

まあでも、自分よりも相当頭が良いであろう早熟な作家なら、あらかじめ全てを見晴らした上で巧妙に隠しつつ配置したってことも無くはない。

どちらにしろ、この本の解釈は説得力があってほぼほぼ納得って感じでした。教養が足りない自分では言語化出来ていなかったものが書かれていたというか。

あと、自分の歌詞はまあまあ禅的だったんだなあと思いました。

家庭の医学 / Excerpts from a Family Medical Dictionary

文章は日記や記録の類に近く、話は時系列に沿って進んでゆく。
作家独自の感性は抑えられ、最後の時間を逃さぬように簡潔に的確に綴られてゆく。

ある種の抑制があり、それは親に対峙した際に子が相対的に一般的にあろうとする気遣い、優しさ、愛情を思わせる。

しかし、死を契機に時空を超えて飛躍する感覚に感銘を受けた。

家庭の医学
柴田 元幸 訳 / レベッカ・ブラウン 著
ISBN:9784022643605
発売日:2006年3月7日
A6判並製 176ページ
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=7273

いまもっとも身近な出来事でありながら本格的な小説がなかった「介護文学」が誕生。人気のアメリカ小説家、レベッカ・ブラウンが、癌に冒された母親の入院、手術、治療、そして看取るまでを描く。「生きているあいだ、母はいろんなことを心配した。……私たちは母に言った。何もかもちゃんとやっているから、もう休んでいいのだと」──。痛々しくも崇高な作品。

体の贈り物/The Gifts of the Body

母の呼吸が止まったと聞いた時、文字通り崩れ落ちた。しかし肉体がいよいよ世界から消える時は、それ以上の衝撃だった。

その時のことを思い起こすと、意外だ。そんな風になるなんて想像していなかった。

死体は眠っているようだった。そんな風に感じた。
話しかけたり、音楽を聞かせたりした。
同じ部屋で眠り、穏やかな気持ちで接して、親密な時間だった。

棺桶を閉める間際、顔に触れると、とても冷たくて、次の瞬間経験したことのない感覚、肉体的な激しい衝撃を受けた。今まで接してきた死とは少し種類が違っていた。あの冷たさ。奇妙な欠落。

 

10代前半から読書は習慣化していて、しかし一度に読み切ることはほとんどなく、ほんの数ページを生活の中で少しずつ読み進めていくというペースだ。
だから、小説の場合、タイミングがあわなければ読めない。
こんな風に書くのはおかしいかもしれないが、あの時もっとも身近で関心のあること、そしてそれ以外は受け付けられない状態で、この本を手に取った。

11のピースからなる連作小説。各章は汗の贈り物、充足の贈り物など・・・の贈り物で統一されている。それらを含むタイトルは「体の贈り物(The Gifts of the Body)」なのだが、「体」という単語の選択は、この小説をよく表していると思う。

簡潔で平易な文章。描写の中にときおり差し込まれる繊細で鋭い感覚と正確な言葉。

誰かが死ぬと、いつもそこに穴がひとつできた。穴はいつも人々の真ん中にあった。

 

体の贈り物
レベッカ・ブラウン/著、柴田元幸/訳
ISBN 978-4-10-214931-7
発売日:2013/07/31
http://www.shinchosha.co.jp/book/214931/

食べること、歩くこと、泣けること……重い病に侵され、日常生活のささやかながら、大切なことさえ困難になってゆくリック、エド、コニー、カーロスら。私はホームケア・ワーカーとして、彼らの身のまわりを世話している。死は逃れようもなく、目前に迫る。失われるものと、それと引き換えのようにして残される、かけがえのない十一の贈り物。熱い共感と静謐な感動を呼ぶ連作小説。

服従、モモ

最近読んだ小説。

服従/ミシェル・ウエルベック著

ウエルベックは新刊がでるたびに読んでるけど、今回はなかなか手が出なかった。2年。宣伝というか帯と解説に違和感を感じたからだと思う。結末に至るまでは、大人しいというか、ちょっと落ち着いた印象を受けていたけど、最後はやはりというか、落差もあり、いつもどおり、いやそれ以上にひどかった。

モモ/ミヒャエル・エンデ著

服従の影響で?・・違った雰囲気のものが読みたくなり手に取った、が、想像していたより風刺が効いていて、ぬくぬくと読めるようなものではなかった。それに、天涯孤独のキャラクターは禁じ手だ。自分めっぽう弱いのだ。(それにしてもカメ、浦島太郎もそうだった。カメに連れられて行く先は時間なのだ。だからビューティフルドリーマーではカメの上になる。)そうして都会を離れた時、ある種の死があって、世界では多くのモモが死に、あるいは、否応無しに生きていくことになる。音楽を知り、宇宙と調和する描写が素晴らしかった。

服従
ミシェル・ウエルベック著
大塚桃訳
判型:46変形
頁数:304ページ
ISBN:978-4-309-20678-3
発売日:2015/09/14
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309206783/

2022年仏大統領選。投票所テロや報道管制の中、極右国民戦線のマリーヌ・ルペンを破り、穏健イスラーム政権が誕生する。シャルリー・エブド事件当日に発売された新たなる予言の書。

モモ
ミヒャエル・エンデ著
大島かおり訳
シリーズ:岩波少年文庫
頁数:410ページ
発売日:2005/06/16
ISBN 9784001141276
発売日:2005/06/16
https://www.iwanami.co.jp/book/b269602.html

時間どろぼうと,ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語.時間の真の意味を問う,エンデの名作.

オルフェオ/Orfeo

 オルフェオ/リチャード・パワーズ著

 アメリカの作家リチャード・パワーズが2014年(翻訳は2015年)に発表した小説。

 ある作曲家の一生と音楽(主に現代音楽)の話。長年世間に認められないものの、純粋に己の音楽を記し、後に絶望、もろもろの後悔などもありつつ、晩年、遺伝子に音楽を組み込むコンセプチャルな作品…曲をデジタル化して四つの塩基から成る連鎖に変換し…を制作中、バイオテロリストとして指名手配され逃避行する。アメリカの地を車で横断するうちに、ハーリー・パーチ、ホーボーに身を重ねていく。

 過去の作曲作品に関する記述も多く、ストーリー、主人公の作品とリンクしているものもある。オリヴィエ・メシアン『時の終わりのための四重奏曲』、ジョン・ケージ『ミュージサーカス』、スティーヴ・ライヒ『プロヴァーブ』、ドミトリイ・ショスタコーヴィチ『交響曲五番ニ短調』、そしてハーリー・パーチ『バーストー』。

 ちなみに、過去作『われらが歌う時』は演奏家の話で、古楽とソウルミュージックが重要な位置を占めていた…ような気がする…アルヴォ・ペルトもでてきたかも…。

オルフェオ
リチャード・パワーズ 著
判型:四六判変型
頁数:428ページ
ISBN:978-4-10-505875-3
発売日:2013/07/31
http://www.shinchosha.co.jp/book/505875/

耳に聞こえないメロディーは、聞こえるメロディーよりさらに甘美だ。

微生物の遺伝子に音楽を組み込もうと試みる現代芸術家のもとに、捜査官がやってくる。容疑はバイオテロ? 逃避行の途上、かつての家族や盟友と再会した彼の中に、今こそ発表すべき新しい作品の形が姿を現す――。マーラーからメシアンを経てライヒに至る音楽の歩みと、一人の芸術家の半生の物語が響き合う、危険で美しい音楽小説。

虐殺器官、ハーモニー

最近読んだ中で面白かった小説。ハーモニーが特に良かった。

 

虐殺器官
伊藤計劃 著

ISBN : 9784150311650
刊行日 : 2014/08/08
http://www.hayakawa-online.co.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000003096&search=%B5%D4%BB%A6%B4%EF%B4%B1&sort=

9・11以降の”テロとの戦い”は転機を迎えていた。
先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。
米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう……
彼の目的とはいったいなにか? 
大量殺戮を引き起こす”虐殺の器官”とは? 
現代の罪と罰を描破する、ゼロ年代最高のフィクション。

 

ハーモニー
伊藤計劃 著

ISBN : 9784150311667
刊行日 : 2014/08/08
http://www.hayakawa-online.co.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000003097&search=%A5%CF%A1%BC%A5%E2%A5%CB%A1%BC&sort=

21世紀後半、〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。
医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する”ユートピア”。
そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した――
それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰に、ただひとり死んだはすの少女の影を見る――
『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。

天使エスメラルダ/The Angel Esmeralda

  「天使エスメラルダ」は、アメリカの作家ドン・デリーロが1994年に発表した短編小説。

 修道女のエドガーとグレイシーは荒廃したスラム街で、孤児の少女エスメラルダと出会い保護を試みるが、少女は警戒心が強く野良猫のように走り去ってしまう。

 街を仕切る若者グループの一団は、子供が命を落とす度、廃ビルの壁に天使のグラフィティを描き、その短い命の証しを残し続けている。

 話しが数ページ進むと、案の定、壁には天使エスメラルダが描かれ、尼僧達は無力さを痛感し世界の無慈悲を嘆く。

 少女の死後、ある超自然現象(シミュラクラ現象)についての噂が広がり、日々、高速道路と列車の鉄橋が並ぶ街の外れに人々が集まり始める。

 その場所へ向かおうとする年老いた尼僧エドガーに対し、普段着姿の若いグレイシーは「こういうのは貧しい人々のためのものなんです。私たちはそういう枠組みで見ないと。貧しい人たちには幻視が必要なんです」と言い強く止める。
 エドガーは「貧しい人たちって言ったわね。でも、貧しい人たち以外の誰の前に聖人が姿を現すかしら?銀行頭取の前に聖人や天使が現れる?」と反論する。
 グレイシーはなおも「イメージに向かって祈らないでください。祈るのはは聖人に向かってです」と釘を刺すが、エドガーは他の若い修道女と連れ立って現場へ向かい、群衆に紛れて奇跡の出現を待った。

 「貧しさ」に限定しているのは、主題を明確にするためだろう。金持ちであっても、死に瀕した重病人や長年難病に苦しむ人々であれば、手の空いた聖人か、見習いの天使くらいなら姿を見せるはずだから‥。

 奇跡が表出するのは高速道路上の広告掲示板、オレンジジュース(ミニッツメイド)のポスター、正面から走ってくる列車のヘッドライトがそれに当たる数秒の間。資本主義経済の象徴的イメージが光の変化で奇跡を現す仕掛けだ。

 中央分離帯に集まる貧しき群衆に混じり、奇跡を見上げる修道衣姿の年老いた尼僧。「昔の広告の上に新しい広告を貼ったものだから、上の広告に強い光を当てると、昔の広告が浮かびだす」とグレイシーなら言うだろう‥エドガーはそんな風に思いつつも、畏れ、恍惚状態の周囲に溶け混むような一体感を得る。

 騒ぎはさらに広がり、それから3日後に終わる。広告は剥がされ真っ白になる。

 エドガーと読者にはイメージが残る。忘れるまでは。

 

天使エスメラルダ
ドン・デリーロ著
訳 柴田元幸、上岡伸雄、都甲幸治、高吉一郎

判型 : 四六判
頁数 : 286ページ
ISBN : 978-4-10-541806-9
発売日 : 2013/05/31
http://www.shinchosha.co.jp/book/541806/

九つの短篇から見えてくる、現代アメリカ文学の巨匠のまったく新しい作品世界。

島から出られないリゾート客。スラム街の少女と修道女。第三次世界大戦に携わる宇宙飛行士。娘たちのテレビ出演を塀の中から見守る囚人。大地震の余震に脅える音楽教師――。様々な現実を生きるアメリカ人たちの姿が、私たちの生の形をも浮き彫りにする。三十年以上にわたるキャリアを一望する、短篇ベスト・セレクション。

天使エスメラルダ―9つの物語―