「天使エスメラルダ」は、アメリカの作家ドン・デリーロが1994年に発表した短編小説。
修道女のエドガーとグレイシーは荒廃したスラム街で、孤児の少女エスメラルダと出会い保護を試みるが、少女は警戒心が強く野良猫のように走り去ってしまう。
街を仕切る若者グループの一団は、子供が命を落とす度、廃ビルの壁に天使のグラフィティを描き、その短い命の証しを残し続けている。
話しが数ページ進むと、案の定、壁には天使エスメラルダが描かれ、尼僧達は無力さを痛感し世界の無慈悲を嘆く。
少女の死後、ある超自然現象(シミュラクラ現象)についての噂が広がり、日々、高速道路と列車の鉄橋が並ぶ街の外れに人々が集まり始める。
その場所へ向かおうとする年老いた尼僧エドガーに対し、普段着姿の若いグレイシーは「こういうのは貧しい人々のためのものなんです。私たちはそういう枠組みで見ないと。貧しい人たちには幻視が必要なんです」と言い強く止める。
エドガーは「貧しい人たちって言ったわね。でも、貧しい人たち以外の誰の前に聖人が姿を現すかしら?銀行頭取の前に聖人や天使が現れる?」と反論する。
グレイシーはなおも「イメージに向かって祈らないでください。祈るのはは聖人に向かってです」と釘を刺すが、エドガーは他の若い修道女と連れ立って現場へ向かい、群衆に紛れて奇跡の出現を待った。
「貧しさ」に限定しているのは、主題を明確にするためだろう。金持ちであっても、死に瀕した重病人や長年難病に苦しむ人々であれば、手の空いた聖人か、見習いの天使くらいなら姿を見せるはずだから‥。
奇跡が表出するのは高速道路上の広告掲示板、オレンジジュース(ミニッツメイド)のポスター、正面から走ってくる列車のヘッドライトがそれに当たる数秒の間。資本主義経済の象徴的イメージが光の変化で奇跡を現す仕掛けだ。
中央分離帯に集まる貧しき群衆に混じり、奇跡を見上げる修道衣姿の年老いた尼僧。「昔の広告の上に新しい広告を貼ったものだから、上の広告に強い光を当てると、昔の広告が浮かびだす」とグレイシーなら言うだろう‥エドガーはそんな風に思いつつも、畏れ、恍惚状態の周囲に溶け混むような一体感を得る。
騒ぎはさらに広がり、それから3日後に終わる。広告は剥がされ真っ白になる。
エドガーと読者にはイメージが残る。忘れるまでは。
天使エスメラルダ
ドン・デリーロ著
訳 柴田元幸、上岡伸雄、都甲幸治、高吉一郎
判型 : 四六判
頁数 : 286ページ
ISBN : 978-4-10-541806-9
発売日 : 2013/05/31
http://www.shinchosha.co.jp/book/541806/
九つの短篇から見えてくる、現代アメリカ文学の巨匠のまったく新しい作品世界。
島から出られないリゾート客。スラム街の少女と修道女。第三次世界大戦に携わる宇宙飛行士。娘たちのテレビ出演を塀の中から見守る囚人。大地震の余震に脅える音楽教師――。様々な現実を生きるアメリカ人たちの姿が、私たちの生の形をも浮き彫りにする。三十年以上にわたるキャリアを一望する、短篇ベスト・セレクション。