幸福の遺伝子/Generosity: An Enhancement

 幸福の遺伝子/リチャード・パワーズ著

 『幸福の遺伝子』はアメリカの作家リチャード・パワーズが2009年(翻訳は2013年)に発表した小説。

 前半は、元作家で非常勤講師のラッセル・ストーンと学生のタッサ・アムズワール、遺伝子学者のトマス・カートン、ジャーナリストのトニア・シフの3つの話が平行して進んでいく。

 ラッセル・ストーンは過去に、街で出会った人々を題材にしたエッセイ(創作的ノンフィクション)を雑誌に発表していたが、モデルとした人物の親族や知人から批判の投書を受け取る。さらにその人物の一人が、未遂に終わったものの自殺を企ててしまう。それ以降彼は文章が書けなくなり、自己修養系雑誌に掲載する読者投稿を添削する仕事についた。

 話の早々に示されるこの「作家」「モデルとなった人物」「読者」「雑誌」の関係は、主題の「伝える者」「対象者」「受け取る者」「媒体」の関係を、彼の経歴から端的に示している。

 ラッセル・ストーンに構造的に対応するのがトニア・シフで、彼女はTVのドキュメンタリー番組を作っており、遺伝子学者についての番組を制作中だ。そして後にタッサ・アムズワールも撮ることになる。

 もうひとつのテーマは遺伝子。アルジェリア出身ベルベル人の学生タッサ・アムズワールは、生い立ちが極度に不運ながらも、つねに幸福感に満たされていて(本人がそう自覚しているわけではない)、その多幸感は回りの人間にも分け隔てなく伝播する。元作家は戸惑いながら、彼女は先天的な「感情高揚性気質=ハイパーサイミア」ではないかと勘ぐり始める。そしてある事件をきっかけに、彼が不用意に口にしたその言葉がニュースとして流れ、ネットを中心に話題となり、彼女は世間の注目を浴びる事になる。

 学者で経営者(遺伝子関連の特許等で大儲け)のトマス・カートンはある日、タッサ・アムズワールの記事を見つける。興味を持った彼はタッサに接触を試みる。

 リチャード・パワーズの他の作品に比べると入れ子構造はゆるやかだが、元作家のラッセル・ストーンを中心に3つの話は次第に距離を縮め絡み合っていく。
 また、タッサは映像を勉強中で作品(街や人々を素材にCGで加工したもの)を作っているし、元作家や学者も物語後半、ある事がきっかけで不本意ながらゴシップ的な世間の注目を集める事になる、等々、立場も不定で入れ替わる。

 後半のあらすじは伏せるが、ある人物の変化には心が苦しくなった。残念な気持ちと既知の予感。奇跡の話でもあり、よく知る世界の話…。なんとも苦く、親密で、心に刺さる作品。

 ちなみにリチャード・パワーズは優れた作品を多く書いており、『囚人のジレンマ』『ガラティア2.2』『われらが歌う時』等は、いずれも力作で読後に深い余韻を残すものだった(『舞踏会へ向かう三人の農夫』は少々退屈…前作の『エコー・メイカー』は未読)。

幸福の遺伝子
リチャード・パワーズ 著
判型:四六判変型
頁数:430ページ
ISBN:978-4-10-505874-6
発売日:2013/04/26
http://www.shinchosha.co.jp/book/505874/

彼女が幸せなのは、遺伝子のせい? 鋭敏な洞察の間に温かな知性がにじむ傑作長篇。

スランプに陥った元人気作家の創作講義に、アルジェリア出身の学生がやってくる。過酷な生い立ちにもかかわらず幸福感に満ちあふれた彼女は、周囲の人々をも幸せにしてしまう。やがてある事件をきっかけに、彼女が「幸福の遺伝子」を持っていると主張する科学者が現れ世界的議論を巻き起こす――。現代アメリカ文学の最重要作家による最新長篇。

オース!オース!オース! バタヤンの人生航路/Autobiography: Yoshio Tabata

 オース!オース!オース! バタヤンの人生航路/田端義夫著

 歌手、ギターリストのバタヤンこと田端義夫氏の自叙伝的エッセイ。自身の人生を航海に例え、簡潔に時に熱く巡る。1919年、大正生まれのバタヤン。少年時代、貧しさゆえに苦労が多く、13歳の時に名古屋へ丁稚奉公に出ている。それ以前、5人の姉も若くして芸者に出たが、姉しげのが家を出た日のエピソードが涙を誘う。

いちばん仲のよかった姉しげのが名古屋へ芸者に行くことになった。駅まで送っていく途中、義夫、赤とんぼを一緒に歌おうと言い出した。悲しさを紛らわすためだったのだろう。

 この歌は、父親が亡くなり上の姉たちが芸者に出て、家に、母親、姉しげの、義夫、弟の4人になった時、寂しさを紛らわすように、夕方になると縁側でみんなで歌った歌だった。

 その後若くして認められ瞬く間にスターになり、多くの映画にも出た。人気が落ち込んでも再びヒットを飛ばした。過去を振りかえることなく帆を進めた。しかし65歳の時に患ったヘルペスの治療で、下半身が麻痺し歩けなくなった時、歌や人生を客観的に見つめなおし、神の啓示のようにこう思ったという。

「そうだ、さりげなく歌おう、さりげなく」

出版社:日本放送出版協会
頁数:206ページ
ISBN:4-14-005167-1
発売日:1992/04

秋葉原事件、「少年A」14歳の肖像/Akihabara massacre, Kobe child murders

 秋葉原事件/中島岳志著

 2008年6月8日、加藤智大被告(当時25歳)は東京秋葉原の交差点に2トントラックで突っ込み5名(3名死亡、2名負傷)をはね、停車後ダーガーナイフで通行人12名(4名死亡、8名負傷)を次々に刺した。その後の裁判では1審2審とも死刑判決だったが、事件当時精神障害の疑いがあるとして現在上告中。

 この事件のルポルタージュ『秋葉原事件』は、加藤の生い立ちから事件後までを家族、友人、知人、教師、同僚、被害者、本人等の証言、掲示板への書き込み等をもとに駆け足で綴っている。また加藤の証言を元に、ネタとベタ、アピール等、重要だと思われるキーワードの解読を試み、事件に至った経由を推測している。

 裁判で加藤は、掲示板でのなりすましや荒らしに対するアピールのため事件を起こした、とも取れる発言をしている。掲示板は大切な場所であった、本当に荒らしをやめて欲しかった、事件をおこせばそれが相手に伝わると思っていた、と。

 そのアピールと無差別に12名を殺傷する行動の間には飛躍があり、直接は結びつかない。それは本書を読んでも同じだが、事件以前の「アピール」との関連で読み進めていくと、少なくとも、幼少期から犯行日に至るまでに、ひとつの流れのようなものがある、それは著者の描いたストーリでもあるが、的外れというわけではなさそうだ。

秋葉原事件 加藤智大の軌跡
中島 岳志 著
ISBN:9784022617668
定価:735円(税込)
発売日:2013年6月7日
A6判並製   280ページ
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=14984

加藤智大を事件に駆り立てたものは何だったのか? 事件の動機として、「派遣切り」になりそうになったから、あるいは、彼がのめり込んでいた携帯の掲示板で「荒らし」や「なりすまし」が出たから、という説も出たが本当にそうなのか。気鋭の政治学者が裁判を傍聴し、彼の故郷や職場周辺を訪ねて、事件の背景を探る。

 

 「少年A」14歳の肖像/高山文彦著

 もう一冊。秋葉原事件の犯人と同い年と知り、共通点はあるのか?と気になり手にとった。

 1997年2月から5月にかけて、犯人である少年(当時14歳、犯行声明文には酒鬼薔薇聖斗の署名)は小学生の女児4名(1名死亡、3名負傷)、男児1名(死亡)を殺傷した。さらに男児の遺体を切断し、頭部を声明文とともに通っていた中学校の正門に置いた。逮捕後、医療少年院で治療(約4年)を受け、中等少年院に約2年収容された後、2004年に仮退院、2005年には本退院した。

 『「少年A」14歳の肖像』も『秋葉原事件』と同じように、生い立ちから事件後までを証言をもとに綴っているが、精神分析の内容、現場の取材により多くがさかれている。また所々、文学的、詩的な表現もみられる。

 共通点はある。2人とも幼少期に母親から厳しいしつけを受けていたこと、自己中心的な考え方をしていたこと。けれど逆に言えばそれしかなく、同じような環境、性格の人間がごまんといることを思えば、それが原因とは言えない。一因とは言えるが。

 一方、違いははっきりしている。神戸連続児童殺傷事件の犯人は、殺傷の際には性的快楽が伴っていたと証言している。それは小学生の頃から始まり、猫殺し、少女への暴行、殺傷、少年の殺害と死体損壊に至った。14歳という性的に多感な時期を迎え、欲求がエスカレートしピークに達したのだろう。捕まらなければ同じような事件を起こした可能性が高い。

「少年A」14歳の肖像
高山文彦/著
SBN:978-4-10-130432-8
発売日:2001/11/01
http://www.shinchosha.co.jp/book/130432/

一億人の心臓を鷲づかみにした「神戸連続児童殺傷事件」。審判は終わった。真実は詳らかにされることなく、少年Aは闇の中に消えた――。彼の内なる「酒鬼薔薇聖斗」はいつ、どんな家庭で産声をあげたのか。母親は魔物の誕生に気付かなかったのか。第一級捜査資料に綴られた生々しい「肉声」。少年が初めて語る狂気と虚無、そして両親の慙愧……。今ようやく浮き彫りとなる驚愕の全貌。