音楽レーベル「P.S.F Records」、レコードショップ「モダ〜ンミュージック」の生悦住英夫氏が死去した、と人に聞いたり、ネットで見た。
直接本人に聞くわけにもいかず、困ったもんだ。
いつも通り食事をして、いつも通り・・と思うが、何だか手につかず日記を書くことにした。
試しに、チェット・ベイカーを聴いている。
Let’s get lost
生悦住さんも好きで、良く話題にしていた。
生悦住さんなりに話題を合わせてくれていたのかもしれない、と今初めて思った。どうだろう?
「ひぐちくんの歌はチェット・ベイカーっぽいとこがある」と言われ首をひねっていたが、嬉しかった。
生悦住さんは同じ話を何度もする。こっちが疲れてしまうくらい。呆れてしまうくらい。
今まで出会った人の中で、一番。
1996年にカセットテープをモダ〜ンミュージックに郵送した。
お店には行ったことがなかったし面識もなかったけど、当時ライブをしていたお店のマスターとママから生悦住さんの話を聞いていて「もしかしたら」と思ったんだと思う。PSFのアルバムは少し聴いていた。
知り合いも少なかったし、一人でやっていたのでアテもツテもなく、まだインターネットはなかったし。
ライブを録ったカセットをダビングして、住所と電話番号を書いて送った。
生悦住さんに会ったのはそれから7年〜8年後。
2003年にGhost Discという自主レーベルを作って、初めてCDをプレスして、モダ〜ンミュージックに持って行った。
大きなリュックを背負って、冷や汗をかいて。
CDを渡すなりお店のプレイヤーで再生するので、いたたまれない気持ちになった。
生悦住さんは音を聞きながら、ジャケットを見ながら、自分と言葉を交わすうちに「もしかして君は***(カセットを送った時に使っていた別名義)?」と言い、「カセットを聴いて電話したが通じなかった」こと、「勝手にダビングしてお店の常連さんに配っていた」ことなどを話し始めた。
96年頃は色々あって、モダンにカセットを送った直後に東京を離れてしまったのだ。
1年後に戻ってきても部屋がなかったりって状態だったので、カセットを送ったことを忘れていたわけではないと思うのだけど、モダンに連絡するということは思いつかなかったのかもしれない。
その後、もろもろの記憶が曖昧なまま数年が過ぎた。
で、2003年にCDを作って、どうやって売れば良いかも分かない時に「あの時連絡はもらえなかったけど、あの店なら置いてもらえるかもしれない」と思い、訪ねてみたら、むかし送ったカセットのことを覚えていてくれたのだった。
その後、スピーカーからCDは流れたまま、終わってもう一度再生しても、カセットの話ばかりしていたと思う。
結局気に入ってくれて、買取はしてくれたのだが、「これも良いけど、カセットの方が良いね」と言われた。
以降、その言葉は会うたびに、新しいアルバムを渡すたびに繰り返された。
自分としては当然新作の方が良いわけで、返す言葉に困るのだが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。むしろ毎度毎度同じことを言われるので面白かった。
ミュージシャンは多かれ少なかれ変わる。
でも生悦住さんが大好きなものは変わらない。しかも本人にそのまま言う。タイミングとかもない。
だから笑っちゃうのだ。あまりにストレート。そしてしつこい。
自分としては「恥ずかしいし、出したくない」ってずっと思ってたし、いつか「こっちの方が良いね」と生悦住さんが言うものをPSFからリリースしたかった。だから初期作品集のリリースは2012年まで拒んでいた。
それでも10年近くしつこく言われ続けて、「あの人が良いというなら良いのかもしれない」と思ったり、生悦住さんが「こっちの方が良いね」と言う日が来る前に・・来ないかもしれない、と思ったり、とにかくずっと言ってくれて、売れもしないのにリリースしてくれて・・というか、感謝しかない。それと出会えて本当に良かった。