先日小説を聞いていて(最近本が読めなくなって朗読を聞くようになりました。)言葉が繋がった(ように思った)ことがあってメモしました。聞いた順番も以下の通りでした。
するとその瞬間である。窓から半身を乗り出してゐた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振つたと思ふと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まつてゐる蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送つた子供たちの上へばらばらと空から降つて来た。私は思はず息を呑んだ。蜜柑/芥川龍之介
都会に働きに出るため列車に乗っていた姉が、列車の進路脇に見送りに来ていた小さな兄弟達に窓から蜜柑を投げる、この部分の色と運動の描写が以前から好きで、久しぶりに聞いて(以前は読んで)みてもやっぱり良いなあと思って、続けて同作者の未読だった「ピアノ」を聞いていたら…
現に或家の崩れた跡には蓋をあけた弓なりのピアノさへ、半ば壁にひしがれたまゝ、つややかに鍵盤を濡らしてゐた。のみならず大小さまざまの譜本もかすかに色づいた藜の中に桃色、水色、薄黄色などの横文字の表紙を濡らしてゐた。ピアノ/芥川龍之介
ある災害後、通りかかった崩れた廃屋にピアノが剥き出しで置かれたままになっており、その付近に落ちていた紙の色についての描写で「色!」と繋がりを感じつつ続きを読むと、
するとピアノはその拍子に忽ちかすかに音を発した。それは殆どわたしの疑惑を叱つたかと思ふ位だつた。しかしわたしは驚かなかつた。のみならず微笑の浮んだのを感じた。ピアノは今も日の光に白じらと鍵盤をひろげてゐた。が、そこにはいつの間にか落ち栗が一つ転がつてゐた。ピアノ/芥川龍之介
後日再び通りかかるとかすかにピアノの音がした、気がした。ポルターガイスト現象のようでありつつ、栗が鍵盤に落ちて鳴った音かもしれないという場面で「蜜柑と栗の落下!!」にまた繋がりを感じました。栗は果物に分類されるので余計にそう感じました。まあ作者が同じですから全然ありえるというか、そういう意図を発見出来た気がしました。だけど別作者の、
その村の対岸にある栗の木の多い低い山へ攀よじのぼり、その上方の斜面に腰を下ろした。そこで私は何時間も、明るい、静かな気分で、これから手を着けようとしている物語の構想に耽ふけっていた。ときおり私の足もとの方で、思い出したように、子供等が栗の木をゆすぶって一どきに栗の実を落す、その谿たにじゅうに響きわたるような大きな音に愕おどろかされながら……風立ちぬ/堀辰雄
この場面の前にも栗に関する記述があり、それは死と結び付けられていました。重要なモチーフとして出現した「栗!!!」に驚きつつ、その後の「落下と音!!!!」の記述で興奮したような感じになりました。
「あら、又、栗が落ちた……」彼女は目を細目に明けて私を見ながら、そう囁ささやいた。
「ああ、あれは栗だったのかい。……あいつのお蔭でおれはさっき目を覚ましてしまったのだ」風立ちぬ/堀辰雄
全く意図せず適当に選んで再生した物語が繋がりを持ったことに驚きました。こういうのって言葉にするとなんと言うのでしょうか?調べてみたら以下が近そうでした。
アポフェニア(英: apophenia)とは、無作為あるいは無意味な情報の中から、規則性や関連性を見出す知覚作用のことである。少数の法則とも。1958年にドイツ人の心理学者クラウス・コンラッドが統合失調症の前駆症状を詳細に記述し、患者が最初に妄想を経験したという事実を反映するために、(ギリシャ語のapo [離れた場所] + phaenein)新語を作り出した。ウィキペディア
まあ、こういうのって妄想ですよね。今は冷静になっています。でも、ある言葉が引き金になって、自分の中の何かに作用するのって面白いと思います。
